1905年 |
札幌市に生まれる |
1923年 |
北海道庁立札幌高等女学校師範科卒 |
1926年 |
女子美術専門学校(現女子美術大学)日本画科卒業 |
1930年 |
第17回日本美術院展に「枇杷」が初入選 |
1946年 |
第31回院展で「夏」が日本美術院賞受賞 |
1948年 |
第33回院展で「室内」が日本美術院賞受賞 |
1950年 |
第35回院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞受賞 |
1951年 |
第36回院展で「行楽」が奨励賞、白寿賞受賞 |
1952年 |
第37回院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞、院展同人に推挙 |
1961年 |
「渇仰」が文部省買上げ、第11回芸術選奨文部大臣賞受賞、日本美術院評議員に推挙 |
1966年 |
愛知県立芸術大学日本画科の主任教授に就任 |
1972年 |
個展「富嶽三十六景」がパリで開催 |
1975年 |
「面構 鳥文斎栄之」が第23回日本芸術院恩賜賞受賞 |
1976年 |
勲三等瑞宝章受賞 |
1978年 |
神奈川県文化勲章受賞 |
1982年 |
日本芸術院会員に推挙 |
1986年 |
文化功労者として顕彰 |
1989年 |
文化勲章受賞 |
1992年 |
画行70年片岡球子展が日本橋三越とパリで開催 |
1993年 |
愛知県立芸術大学の教官、卒業生と共に約20年手がけた「法隆寺金堂壁画模写」が完成 |
2000年 |
「熱き挑戦-片岡球子の全像」展が横浜美術館で開催 |
2008年 |
急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で死去、享年103歳 |