Artists
1839年 | 南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに、銀行家の父の下に生まれた |
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1852年 | ブルボン大学に入学 エミール・ゾラやバティスタン・バイユと知り合うようになる |
1857年 | エクスのドローイング自由私立学校に入学 |
1858年 | 父の希望もありエクス大学法学部に通う |
1861年 | パリに住んでいたゾラの勧めもあり、画家になることを志し、大学を中退し、パリに移る アカデミー・シュイスに入学、ピサロ等と出会い、印象派作家と交流を持つようになる ピサロとは特に親しくなり、今までのロマン主義的な暗い色調から、ピサロと戸外での制作をともにすることで、明るい印象主義の技法を身につけ |
1863年 | 落選展で初めて展示された |
1879年 | 制作場所を故郷のエクスに移した 印象派を離れ、平面上に色彩とボリュームからなる独自の秩序をもった絵画を追求するようになった |
1882年 | 同僚のアントワーヌ・ギュメを介して《Portrait de M. L. A》という作品をサロンに出品、ギュメは当時、審査員をしていたが、弟子の1人を入選させることができるという特権を使い、ギュメの弟子という名目で入選させてもらった |
1887年 | 代表作『サント=ヴィクトワール山』制作 |
1886年 | 17年間同棲していたオルタンス・フィケと結婚 父が亡くなる |
1889年 | パリ万国博覧会にて旧作『首吊りの家』を展示 |
1890年 | ブリュッセルの「20人展」に招待され、油彩画3点出品 |
1895年 | パリの画商アンブロワーズ・ヴォラールがセザンヌの個展を開催 |
1898年 | ヴォラールの企画で2回目の個展を開催 |
1899年 | 第15回アンデパンダン展に出展 |
1900年 | パリで開かれた万国博覧会の企画展である「フランス美術100年展」に他の印象派の画家たちとともに出品 |
1902年 | エクス郊外に向かうローヴ街道沿いにアトリエを新築し、多くの静物画、風景画、肖像画を描いた。特に、大水浴図の制作に力を入れた |
1904年 | サロン・ドートンヌに出品、以降3年連続作品を出品 |
1906年 | 死去 |