Artists
1881年 | スペイン南部マラガに生まれる |
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1892年 | ガリシア地方ラ・コルーニャに移住、父、ホセ・ルイスは同市ダ・グワルダ工芸学校美術教師、 地域の美術館の学芸員に赴任 |
1892年 | ラ・コルーニャの美術学校に入学 |
1895年 | バルセロナに移住、美術学校に入学 |
1897年 | 父の指導のもとで描いた古典的な様式の『科学と慈愛』が、マドリードで開かれた国立美術展で 入選、佳作を受賞し、約2週間展示される 後にマラガの地方展で金賞を受賞 同年秋、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学、だが、マドリードでも授業内容は今までと同じ古典的な内容で、新しいことや当時の流行を学ぶことができず、王立アカデミーの体制に失望する プラド美術館に通い、ベラスケスらの名画の模写をすることで絵画の道を求めていった |
1898年 | 王立サン・フェルナンド美術アカデミーを中退する |
1899年 | バルセロナに戻り、バルセロナにある「四匹の猫」というカフェに通い、芸術家たちと交わりながら絵を描く、簡素ではあるが、このときに自身初の個展を開催する、ラ・バングアルディア紙で好意的に批評され、ピカソに注目が集まり始めた バルセロナ画壇の大御所、ラモン・カザスに代わり、メニューの表紙イラストを手がけることになる |
1900年 | 再びピカソの個展が開催され、アール・ヌーヴォーの影響を受けた線画が約150点が展示された カサヘマス、パリャーレスとともにパリを初訪問。その後バルセロナとパリの間を何度か行き来する |
1901年 | パリで初の個展、「青の時代」の始まり <青の時代>‐親友カサヘマスの自殺に大きな衝撃を受け、無機顔料のプロシア青をベースとする 暗青色を基調として、カサヘマス、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、盲人、裸婦、芸術家などを描いた |
1904年 | 詩人のマックス・ジャコブによって〈洗濯船〉と名付けられたモンマルトルの建物に部屋を借り、パリに腰を据える |
1905年 | 「ばら色の時代」が始まり <ばら色の時代>-フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。 |
1906年 | 『アビニヨンの娘たち』制作 ジョルジュ・ブラックらとともにキュビズムを発展させる |
1909年 | スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた |
1912年 | モンパルナスへ移る。 <総合的キュビスムの時代>装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビスムとも呼ばれる このころ、新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュ技法を発明したが、これはマルセル・デュシャンのレディ・メイドの先駆である |
1916年 | パリ郊外モンルージュに移る |
1917年 | バレエ団バレエ・リュスの『パラード』の装置、衣装を製作 |
1918年 | オルガ・コクローヴァと結婚、パリ、ラ・ボエシーに移る |
1919年 | ロンドンで『三角帽子』の装置、衣装を製作 |
1920年 | 『プルチネルラ』の衣装を製作。新古典主義時代 <新古典主義の時代>-古典的で量感のある母子像を描いた |
1922年 | コクトーの『アンティゴーヌ』の装置、衣装を担当 |
1924年 | バレエ『メルキュール』(ディアギレフ)の装置、衣装を製作 |
1925年 | <シュルレアリスム(超現実主義)の時代>-化け物のようなイメージが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる、代表作は『ダンス』『磔刑』など |
1928年 | 彫刻に専心 |
1930年 | 『ピカソ夫人像』がカーネギー賞を受賞 |
1931年 | 『変身譚』の挿絵を制作 |
1934年 | スペインへ旅行、『闘牛』連作を描く |
1936年 | 人民戦線政府の依頼によりプラド美術館長に就任 |
1937年 | 『フランコの夢と嘘』(エッチング)出版 『ゲルニカ』制作、パリ万博スペイン館にて発表する <ゲルニカの時代>-コンドル軍団のゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』および、そのための 習作(『泣く女』など)を描いた |
1939年 | ニューヨーク近代美術館で個展、『アンティーブの夜漁』を描く |
1944年 | パリ解放後最初のサロン・ドートンヌに戦争中に製作した80点の作品を特別展示 |
1945年 | ロンドン、ブリュッセルで個展 |
1947年 | 陶器制作 |
1952年 | 『戦争と平和』のパネルを制作 |
1953年 | リヨン、ローマ、ミラノ、サンパウロで個展 この年より晩年まで、版画や素描を自己表現的なテーマに集中して制作 版画の『347シリーズ』等多くの作品を生んだ |
1954年 | ジャクリーヌ・ロックと共同生活を始める |
1955年 | カンヌ「ラ・カルフォルニ」に住む |
1958年 | 『イカロスの墜落』制作(パリ・ユネスコ本部) |
1964年 | 日本、カナダで回顧展 |
1966年 | パリ・グラン・パレ、プティ・パレで回顧展 |
1967年 | シカゴで巨大彫刻『シカゴ・ピカソ』公開 |
1968年 | 版画に専心、半年間に347点を製作 |
1970年 | アヴィニョン教皇庁で140点の新作油絵展、バルセロナのピカソ美術館開館 |
1973年 | 南フランスのムージャンの別荘で逝去、享年91歳 |