Artists
1890年 | ボローニャに生まれる |
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1907年 | ボローニャの美術アカデミーに入学 |
1909年 | 初めてヴェネツィアに行き、第8回のビエンナーレを訪問 ヴィットリオ・ピーカの著作『フランス印象派』でセザンヌの複製図版をみる |
1910年 | 第9回ヴェネツィア・ビエンナーレを訪問 フィレンツェでウフィツィ美術館へ行き、ジョット、マザッチョ、パオロ・ウッチェロに特に関心を寄せる 最初の『風景』を描く |
1912年 | エディションを明示した最初のエッチング《ボローニャのサヴェナ川にかかる橋》を制作 |
1913年 | 夏、母や3人の妹ともに初めてグリッツァーナへ、美術アカデミーを卒業 |
1914年 | アカデミーの同窓生とともに、ボローニャのホテル・バリオーニで未来派展を開催 小学校の素描の教師の職を得る(~1929) |
1918年 | 友人のジュゼッペ・ライモンディがジョルジョ・デ・キリコとカルロ・カッラの作品紹介 いわゆる「形而上絵画期」の静物画を描き始める |
1919年 | ローマでジョルジュ・デ・キリコに会う マリオ・ブローリオがモランディの作品を買い占め、1924年まで彼に作品の独占権を与える 契約を結ぶ |
1920年 | ヴェネツィア・ビエンナーレを訪れ、セザンヌの展示を見る |
1930年 | 名声が広まり、ボローニャの美術アカデミー銅版画科の教授職を得る ビッツバーグのカーネギー賞に招待される(以降6回目) |
1939年 | 第3回ローマ・クワドリエンナーレで一室を与えられ、絵画部門の2等賞を受賞 美術史家アルナルド・ベッカリアによる最初のモノグラフが出版される |
1943年 | 第4回ローマ・クワドリエンナーレに参加 |
1948年 | 第24回ヴェネツィア・ビエンナーレで絵画部門の大賞を受賞 ローマのサン・ルカ国立アカデミーの会員に選ばれる |
1953年 | 第2回サンパウロ・ビエンナーレで版画部門の大賞を受賞 |
1955年 | カッセルで開かれた第1回のドクメンタに参加 (1959年にも参加) |
1956年 | ヴィンタトゥール美術館での個展とチューリヒでのセザンヌ展訪問のため、初めてイタリアを離れ、スイスを2度に渡り訪問 26年に及んだ美術アカデミーでの教職を退く、以後、水彩にも関心を高め力を注ぐようになる |
1957年 | 第4回サンパウロ・ビエンナーレで絵画部門の大賞を受賞 |
1958年 | グリッツァーナに自宅兼アトリエを建て、夏に限らず長い時間を過ごすようになる |
1962年 | ドイツのジーゲン市が個展を開催、同市よりルーベンス賞を授与される |
1964年 | ボローニャで死去 |